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イニシエーション
 
INITIATION
非日常体験とイニシエーション
 

心理療法において「非日常を体験すること」が治療法として利用されているケースもあります。非日常的な時間と空間において、自分自身の精神生活の歴史を振り返ってみたり、人間関係にまつわる感情の系譜を遡ってみることは、精神分析療法の本質であり、自分自身の考え方の癖に自ら気づくのもトラウマを乗り越える手段であったり、新たなステージへ上るための必要な経験であったりします。「非日常を体験すること」の意味は,深層心理学では「イニシエーション」と関連づけて考えられています。「イニシエーション」とは、人生の節目に行われる儀礼のことで、これを通して、ある集団や社会で、正式な成員として承認される通過儀礼のことを言います。未開社会においては、ある個人が一つの段階から別の段階へと移行するときに行われる儀式のことです。人類の歴史を見ると、昔から非日常の体験イベントは、さまざまな場面で行われてきたことがわかります。古くから行われているイニシエーションは、割礼や抜歯、刺青など身体的苦痛を伴うものであることが多く、元服や成人式もそれにあたります。心理学におけるイニシエーションは、失恋などによって心理的に受けた衝撃や傷心を通過して、次の段階へ進むことをいいます。親の保護下では経験できないような困難や悩みを乗り越えて、「違う世界へ進み、新たな人生が始まる」儀式でした。ビジネスの局面でもイニシエーションは、行われてきました。企業や社会という新しい環境に足を踏み入れた新入社員が、その組織に適応するために乗り越えなければならない試練や課題もイニシエーションです。それらが、長い歴史の中で様々な形で行われてきたのは、意味や目的、結果が伴ってきたからなのでしょう。非日常の世界に足を踏み入れるということは、個人が成長するために経験するイニシエーションそのものであるともいえます。

しかし、現代社会においては、それが単なる制度としてしか存在していません。社会的に問題があるとか、危険だとか、不潔だとかいう理由で、義をもったイニシエーションは事実上消滅しています。冒険することを否定する風潮が蔓延し、多くの大人たちが型にはまったシステマチックな環境で日々を過ごしています。現代社会における能力の低下は、社会問題として論じられていますが、防波堤の中でしか生きられない人間たちを量産しているのは、体験させることを否定する世論や社会システムが原因かもしれません。それは敗戦国に対する愚民化政策に端を発しているのかもしれません。いずれにしても、コミュニケーション能力、読解力、思考力や想像力の低下は、日本の未来への不安を募らせることにつながっています。

今日、取りざたされているテレビゲームの悪影響は、青少年による悪質な犯罪が増加している要因として、盛んに議論されています。子どもの学力低下、すぐにキレる抑制の効かない子ども、他人の目を気にしない行動をとる青少年は社会問題になっています。体感ゲームでの身体活動経験は、あくまで仮想的なものであると、学者たちは声を上げており、バーチャルリアリティの世界に警鐘を鳴らしています。例えば、ステップを踏んだときの床の響き、ボクシングゲームで相手に与えた打撃の程度、自分が受けた打撃の程度などについて、それらは、リアルな知覚的認識とは異なるものであって、現実のスポーツ活動と同等ではない。と言われています。人間の知覚が五感であるなら、その違いはないのかもしれませんが、人間に第六感が備わっているとしたら、バーチャルリアルティは明らかに現実とは違ったものでしかありません。

 
 
 
 
 
 
 
 
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